2014年
6月
02日
月
新しい家族 ななみさんのお母さんの場合 番外編
私は、ななみは、私の子になる運命でこの世に誕生してきたと思っています。
実は私、子供が大の苦手で、結婚しても子供はいらない主義だったのです。
そんな私だったから、神様が“結婚したらもれなく子供がついてくる”キャンペーンをしてくれたんだと思っているんです(笑)亡くなった実母の方は、私の代わりにななみを産んでくれたと、私は本当に思っているのですよ。私は、産む手間が省けてラッキーです(笑)
ななみは普通の家庭に生まれ育った子では思わないようなことを色々と考える子になりましたし、考えざるを得ない状況だったんだと思います。ハッキリとは言わないですが、心のどこかで自分を置いて行った母親への気持ちを消化しきれていないんではないでしょうか。その気持ちは、私もわからないでもないので、見守ろうと思っています。
出生の事情など関係なく生きていけるように、しなくていい気苦労、哀しみ、苛立ちなど感じなくてすむように、不幸の連鎖を断ち切るように、それを第一に考えています。ななみの世代で、このような気苦労は終わりにさせてやりたいと思います。
2014年
5月
16日
金
新しい家族 ななみさんの場合 パートⅡ
私は血のつながりなんて関係ないって思っています。妹は母と血がつながっているけど、母は私と妹両方同じように愛しているって私はずっと疑問を抱いたことがありません。例え、血のつながりがあっても、100%分かり合えるわけじゃない。血のつながりがあってもなくても、家族は見えないもので繋がっていると私は思うし、家族でいろいろなことを乗り越えて来たから家族の大切さがわかる。私は生れ変わっても今の親のところに産まれたいと思います。
産んでくれた人は、私が中学生になる頃に自殺してしまったそうです。いつか、お墓参りにいきたいと思っています。そして、まず、産んでくれたことに御礼を言いたい。妊娠中に殺すことも出来たのに、産まれるまでの間は親としての役目を果たしてくれた。私はまだ出産したことがないけど、やっぱり産むということはすごく大変なことだと思うから、そのことには感謝しています。でも、同時に、親だと思ったことは一度もないときちんと伝えたいんです。変な話ですが...自殺した人は成仏しないというでしょう?彷徨って、私の家族のところにきて大変なことになったりしたら嫌だなって気持ちもある。きちんと、「あなたと私は親子ではないですよ」とけじめをつけたいんです。
ママってすごいなって思う。自分だったら...同じようにできたかなって思う。ママは少女みたいに純粋な人なんです。そんなママのこと、もちろん大好きです。
2014年
4月
25日
金
新しい家族 ななみさんの場合パートⅠ
私がママ(養親 当時29歳)と出逢ったのは2歳の時でした。私を産んでくれた人(実親)は、精神的な病で入退院を繰り返し、私の世話をすることもできなくなり、パパと離婚をしたそうです。私にはその頃の記憶はありません。ただ、パパは仕事で忙しく、おばあちゃんにほとんど育てられていた私は、夜泣きがすごくて、育てやすい子どもとはとても言えなかったそうです。
ママとの出会いは覚えていません。私はママのことをずっと私を産んでくれた母親だと思っていました。5歳ぐらいの頃でしょうか。見知らぬ人に「本当にお母さんにそっくりで、かわいらしいおじょうちゃんね。」と言われた時に、特別な意識もなく「ママは私のほんとうのママじゃないんだよ。」と言って、ママに泣かれたことを覚えています。でも、それはママに不信感を抱いていたわけではなくて、そんなドラマに出て来るようなセリフをちょっと言ってみたい...というような、よくある子どものいたずら心からだったのです。後で、母が「もう、あんなことは二度と言わないでね。」と言って、りかちゃん人形を買ってくれたこともよく覚えています(笑)。あの時、私は「言ってはいけないことを言ってしまったんだ」って幼心に感じました。でも、だからといって、ママが私を産んだママじゃないなんて予想もしていませんでした。
私を産んでくれた人が別にいる知ったことは、本当にひょんなことからでした。中学1年生の時、パパと激しい口論になり、短気で激情しやすいパパが、思わず「ママはお前の本当のママじゃないんだぞ!」と言ったんです。口論の内容とは全然違う話なのに...ひどいでしょう?(笑)当時は、とても傷つきました。私だけが何も知らずに今までやってきたんだと思うと、今までのすべてが嘘のように思えました。(血がつながっている)妹がうらやましいとも思いました。その日はめちゃくちゃ泣きました。でも、次第に落ち着いていきましたね。どうして気持ちが落ち着いたかというと...やっぱり母がきちんと向き合ってくれたからじゃないかな。母は、私のことを「自分の子だと思っているから」と言ってくれたし、本当にそうだと思いますから。
2014年
3月
14日
金
養子の愛さんのメッセージ
2歳で乳児院から今のご両親のところに来て、いろいろな葛藤もあったとお聞きしています。それを乗り越えての今なのですね。
↓
実家でご飯中。
この絶大なる安心感。
すれ違うことも多々あるけれど、「このふたりは絶対に私に嘘をつかない。私を裏切らない。」っていう、手放しでの安心感がある。
子どもの頃から思ってた。
「世界中が飢えて家にパン一つしかなくなっても、お父さん、お母さんは私に食べさせてくれるんだろうな」って。
2014年
2月
26日
水
養子を迎えることができたら(ゆかさんの場合)
私は自分の子育ての経験から、子どもがどんなに親を必要としているか、抱っこをしてあげることがどんなに大事か、身を以て知りました。赤ちゃんの頃の愛情やぬくもりが、人を信じる力だったり、何かあった時に、それを乗り越える力を根底から支えるのだと思います。私は専門家でもなければ、特別な勉強をしたわけではありませんが、子どもを育てながら、そう信じているのです。
私はわが子の子育てについても不安がありますし、迷ったり、自信をなくしたりすることもたびたびです。養子を迎えることができたとして、その子にとって幸せかどうかはわかりません。でも、一緒にご飯を食べて、一緒にお風呂に入って、一緒に寝て、たくさん抱っこしてあげたい。それくらいしかできませんが、それが一番大事なことだと思っています。
1人でも、2人でも、3人でも、どうか施設に行かないで、私のところに来てほしいです。
養子を迎えることができたら...わが子同様、一生懸命育てるだけです。一生懸命仕事をして、一生懸命生きる姿を見せて、一生懸命育てます。
2014年
2月
16日
日
養子縁組をしたいと思った理由(ゆかさんの場合)
私は実子を10ヶ月で保育園に預け仕事復帰しました。息子は保育園になかなか慣れず、朝登園の時に大泣きする日が続きました。そんな息子を見て申し訳ない気持ちだったり、一緒にいてあげたい気持ちだったり....毎日辛くて、仕事を辞めようかとすごく悩みました。でも、考えた末に、仕事を辞めることは最善ではない、それなら気持ちを前向きに切り替えようと思い直しました。そんな矢先、息子を保育園に迎えに行きながら、ふと思ったのです。
「息子は私が必ず迎えに行くけれど、ママが迎えにこない子ども達もいるんだ。」と。
息子は、毎日夕方には迎えにくる私に、毎朝、今生の別れのように泣きました。私が抱っこしないと寝なかったり、そばにいないと不安がったり。子どもにとって、母はこれほどまでに必要な存在なのだと実感しました。それなのに、親が迎えにこない子どもがいるのだと思い至ったとき、私は居ても立ってもいられなくなりました。
「私がママになってあげたい。」
そう強く思うようになったのです。
※ 日本では、虐待や病気などで親が育てることができない子ども達が約47,000人います。その9割が施設で暮らし、特定の大人に愛されながら育つという基本的な欲求が満たされていないことから、国際的に‘国家の虐待’と批判されています。
2013年
11月
17日
日
新しい家族 養子の荒瀬さんの場合 その2
父は同じ北九州の小倉で暮らしていたようですが、
自分が養子であることは、
子どもを引き取るなら、「とにかく子どもが欲しい。
母は亡くなる前は、自分で身辺の世話が出来なくなり、
2013年
11月
06日
水
新しい家族 養子の荒瀬さんの場合 パートⅠ
荒瀬さま(71歳)
戦争で父と母が離婚をし、
私は5歳になって、養母に引き取られました。養母は、当時30
養母はとても厳しい人でもありました。しつけに厳しく、
2013年
9月
11日
水
養子の私が思う”理想の家族”
(コメント:”現実から目を背けたままで、
私は実の両親に会えないとしても、
でも、養母はそれを嫌がりました。
養母曰く、血の繋がりは非常に強いもので、
私の血の繋がりに対する想いは、
だから。
私は、養女である、ということを幼い頃に告知して欲しかった。
子どもの幸せを願う養子縁組だけど、いつか分かる事実なら、
一から膝を付き合わせて向かい合って"家族"になっていくのが、
2013年
9月
03日
火
私が”養女”だと知った時
http://www.gruun.org/2013/08/24/私が養子として引き取られた理由/
そこに記載されていた続柄が「養女」。
その時、
一方で、納得してほっとしたのも本心です。
私はけして疎外されていた訳でも、
兄弟も5人いるはずですが、会った事はありません。
2013年
8月
24日
土
私が養子として引き取られた理由
私は農家の6人目のこどもとして生まれました。しかし、
父は「自分が育てる」と言い張ったのですが、世話人から「
私が養父母の籍に入ったのは、