夫がぽつりとつぶやいた。「もう(かりんちゃんとは)ダメかもしれないな。」
「里親になろう。」
そう夫が言い出して10年近く過ぎ、関心はありつつも責任の重さにためらっていた私も「そんなに言うなら...。」と背中を押されるようにしてなった3日里親。そして、ご縁あって出逢ったかりんちゃん。
かりんちゃんを取り巻く大人同士のややこしさもあり、最近は殆ど電話でしか話をできずにいます。
「…手紙届いた?」
と私が聞くと、
何度も繰り返し読んでくれたのでしょうか。
結構長いその手紙を電話口ですらすらと読んでくれたかりんちゃん。
「また、(飼い犬の)はなこと会いたくなったら、電話してね。」
「うん。」
「おいしいものを食べに行きたくなったら電話してね。」
「うん。」
「遊びに行きたくなったら電話してね。」
「うん。」
かりんちゃんがもっと大きくなったら、自然に里親から離れていく時もくるだろう、、、とは考えていました。
でも、今はかりんちゃんははっきり
「(里親と会うのは)やめない。」
と答えているとのこと。
人と人の絆は子どもとであっても、当人同士のこと。
こんなに多くの人を介して気持ちを通い合わせることができるのでしょうか?
私は確かに里親として新米です。
でも、周りの人の解釈ではなく、かりんちゃんとの日々、私が見たかりんちゃんを信じたい。かりんちゃんの言葉を大切にしたい。かりんちゃんのことは里子としてではなく、ひとりの人間としてとても気になるし、かわいいのです。だめならまた他の里子をという気持ちにはなれません。
かりんちゃんと私の気持ちより優先されるものってなんですか?
この状況をわかりやすくどなたか説明してください。
----Yes....
----Yes....
Human-to-human kizuna (bonding or ties) should be of our own....or of their own.....
Can the rapport of our own be exchanged nicely when so many parties get involved ?
---Obviously I may be a greenhorn in foster-parenting, but...I like to believe in what I've been observing the days she spent with me......that was through my own eyes without people surrounding us involved. I weigh Karin-chan's own words...
We worry about Karin-chan not only because we are her foster-parents, but as her being a human....She is just adorable....If it doesn't work out....but....
..we just can't simply shift our feelings from Karin-chan to another foster-child available.
Since there seem some cumbersome things to to be straightened out among the adults surrounding Karin-chan, we can talk with her over the phone only.
Tell me..., if any, what it is more important and predominating over our own rapport that we established together?
I would appreciate it if anyone can explain this particular circumstances in plain language?
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