2014年
4月
11日
金
特別養子縁組がやっと成立か?!
家庭裁判所から特別養子縁組の審判書が届きました。
結果は、特別養子を認める…とありました。
夫も今いないから、一人で嬉し涙…。息子も私をじっとみて、きょとんとしていました。
審判内容は、”実母は特別養子縁組をすることに反対しているが、今後子供を責任を持って育てていくことはむずかしい。子供のことを考えると、特別養子として養親にもとで育てられることが適切”というようなことが書いてありました。
これから2週間の間に、けんたをうんだ母親からの不服の申立がなければ、特別養子縁組の確定書がわが家に届きます。それを市役所に提出すれば,法律上も私達夫婦の子どもとして晴れて認められることになります。
もうすこしです。
2014年
3月
12日
水
とうとうけんたの生みの母に会う
けんたの産みの母親が裁判所にこないため、私たちの養子縁組はなかなか進まない状況にありました。しかし、やっと実母がいらして、お話を聞くことができました。 ちょっと目元がけんたに似ているのかなと思わせる実母。
彼女の結論は「特別養子縁組は了承できない」というものでした。理由は、一緒には住んでいないけんたの祖母が「生きている間にけんたに会いたい」と言っていること、(祖母が育てているという)けんたのお兄ちゃんが(けんたが養子縁組することを)泣いていやがっていること、つまり実母の家族の気持ちを考えると認められないということでした。
私達夫婦に対して手紙もいただきました。
そこには、「育ててくれてありがとうございます」という感謝の気持ちと共に、裁判所でお話されたような内容が書かれていました。けんたに会いたいとか、返してください、といった言葉はありませんでした。
けんたの幸せはどこにいくのでしょう。特別養子縁組を認めてもらえなければ、けんたの立場は不安定なままなのです。けんたは私たちと正式に家族になることを彼なりに理解し、喜んでいるのです。
その日、裁判官からの私たちへの質問は「特別養子縁組をしたいという気持ちに変わりはありませんか?」というものだけでした。もちろん、私たち夫婦の気持ちは変わりません。けんたを不安な気持ちにさせないよう、私たちは冷静でいなければならないね、と夫と改めて話をしました。
2014年
1月
25日
土
「ママがママ!」
けんたの実母が、縁が切れることに関して迷っているという手紙を家裁に送ったきたそうです。
日本では、実母の承諾がないと特別養子縁組は認められないので、まずは実母の話を聞いてから…となりますと裁判長。
私もそのことは理解していましたが、実母が一度も家裁に足を運んでこないため、手続きも大幅に遅れてしまっているようでした。
けんたに、「けんちゃんを産んでくれたお母さんが、けんちゃんが大きくなった姿を見てみたいって言っているそうよ。けんちゃんも会いたい?」と聞くと、「うん!」と元気よく答えたけんた。
「もし会えたら何て話したい?」と聞くと、 「わかんないよ…」と言いました。
「パパとママは、たくちゃんがこの先困らない、不安にならないように守っていくから心配しないでね。」というと、頷いていました。
晩御飯の後、けんたが急にわたしに抱きついてきて、突然こう言いました。
「ママがママ!」
何……?
「ママがママ!」 「ママがママ!」 と何度も何度も…。
思わず涙が溢れてきました。私の涙を、けんたは、一生懸命涙を拭いてくれて…。
私も、けんたをぎゅう〜と抱きしめてあげました。
2014年
1月
06日
月
けんたの癇癪
最近、けんたが落ち着かない。
小さなことで癇癪を起こしたり、状況が変わると、すぐに切り替えられなくて怒り出したり…。
ある日は、何を言っても聞かなくなり、こんなことを言いました。
「おかあさんっていうのは、産んだひとのことをいうんだよ。それがふつうだよ。オレはどうして生まれてきたんだろう、生まれてこなきゃよかったよ。」
けんたは私の愛情を確かめているのだ...そう分かっているのに、つい
「育てた人は、お母さんじゃないのね。じゃ、ママはけんたのお母さんじゃないのね!」
などと言ってしまう自分に自己嫌悪...。
「ママだって、けんちゃんのこと産みたかったのよ。」
「だったら、今から子供を産んだらいいじゃん!それで、オレのこと捨てたらいいじゃん!」
けんたはそう言って、私に抱きついて泣きました。しばらく泣くと、すっきりしたのか、いつものやさしいけんたに戻って、うれしそうに甘えてきました。
ケンカのときの感情的な言葉に深い意味はない、ただ怒っていることを精一杯表現しているだけ…分かっているつもりでも、少し大人びてきたけんたの言葉は私の心に突き刺さってきます。
2013年
12月
16日
月
実親さん
家庭裁判所の調査員さんからの思いがけない連絡…けんたの産みのお母さんが、「大きくなったけんたにも会ってみたいから。」と言って、家庭裁判所の面接を拒否しているというのです。
特別養子縁組をするには、実親の同意が必要です。乳児院でも、けんたに一度しか会いにきたことがない方だったから、親権を主張することはないだろうと、夫と私は多少の不安がありながらも思っていたのでした。
今は会いたくないけど、将来は会いたくなるかもしれない…けんたが完全に私たち夫婦の子どもになると聞いて、さびしくなり、不安を感じたのでしょうか。
大きくなったけんたに会ってくださるのは、けんたが望むならかまわない。
でも、私たちが親子になることを、どうか認めてください。私たちになす術はなく、ただただそう願うのでした。
2013年
12月
05日
木
調査官が来た!
家裁から調査官がけんたの状況を見に我が家にいらっしゃいました。
けんたには、事前に
「けんたとママとパパが本当の家族になっていいか見にくるのよ。おじさんはけんたと遊んでくれるらしいよ。」と伝えてありました。
けんたが学校から帰宅するとすぐに調査官もいらっしゃいました。
挨拶したあと、すぐに「腹が減った!」とポテトチップスを調査官の前で豪快にバクバク食べ始めたけんた。
調査官は、そんなけんたに学校でのこと、けんたが得意なこと、苦手なこと、日頃どんな生活をしているのか、などをやさしく質問。
つつがなく進みそうでほっとしていると、いきなり、けんたが
「ママがおじさんが遊んでくれるって言ってたよ!鬼ごっこしたい!」と言い出しました。調査官も快く了解してくださり、公園でみんなで鬼ごっこをすることに。
けんたのすばしっこさに、調査官はヘトヘト。転んで、スーツが泥で汚れてしまわれました。
最後に
「大事に育てられている様子がわかりました。ポテトチップスを豪快に食べ始めるなど、マイペースなところ、元気な顔が見られたので良かったです!」
と調査官。汗を吹き拭き、お帰りになりました。
2013年
9月
29日
日
家庭裁判所に2回目の訪問
特別養子縁組をするにあたって、家庭裁判所に2回目の訪問。今回は、かなりいろいろなことを裁判官に聞かれました。
調査官「お子さんを引き取って、大変でしたか?」
私「急に子供中心の生活に変わり、それに慣れるのは大変でした。食事、散歩、お風呂、ぐずりなど、今思えば、ごく普通のことなのですが、最初は思うようにいかないことが多く、とても大変に感じました。」
調査官「普通養子縁組にしようとは思いませんでしたか?」
私「なんどか考えたことはあります。生まれの家族との繋がりを絶ってしまうことが本当にいいことなのか?けんたには血のつながった家族がいると聞いていますから、将来助け合うこともあるのではないか?...本当にいろいろと考えました。でも、最終的には、あの子の将来のことを考えると、私たち夫婦の戸籍に実子として入ることで、立場がしっかりすると思い、特別養子縁組をすることに決めました。」
調査官「どうして、引き取って5年も経った今になって決断をしたのですか?」
私「初めは早く特別養子縁組をしようと思っていましたが、引き取って最初の一年間は育児が大変と感じ、児童相談所に相談に行ったことがありました。また、あまりに疲れて、一度乳児院に預けたこともありました。ですので、児童相談所の方からは、”焦らなくていい”と言われてきました。小学校に入学する前までに申し立てもすることも考えました。ですが、そのときも”私達夫婦の気持ちが固まってからでいい。まだゆっくりでいい。”と言われ、5年の月日が経ちました。」
帰宅後の夜、夫に「どうして、うちは特別養子縁組の決断が遅かったのかしらね。」と聞いてみました。児童相談所の方から”焦らずに”と言われたというのもありますが、やはり決断するのは私たち夫婦ですから...。
すると、夫からはこんな思いがけない言葉が...。
「ぼくは、最初、いつでも特別養子縁組はしてもいいと思っていたよ。でも、けんたが来てしばらくは、君は鬼のようだったし、取っ組み合いの喧嘩も夫婦で何度もしただろう?僕自身も、子供を育てることがどんなに大変なのか、身にしみて分かったんだよな。そんな状態では、縁組は直ぐにはできない、だからじっと待とうと思ったんだ。」
私が鬼のようだった...?!確かに必死ではあったと思うけど、そんな風に見えていたなんて。
もっと縁組を早くすれば良かった...と思っていたけれど、私たち家族には、今のタイミングで良かったのかもしれない。そんな風に思えた一日でした。
2013年
9月
20日
金
けんたの成長を支えてくれた保育士さん
今日はけんたがいた乳児院で懇親パーティー。
毎年伺っていますが、引き取りはじめの頃は、けんたが保育士さんにどんな態度をするのか、ちょっと不安もありました。実際、3歳のころは、まだかつての担当保育士さんに抱っこされたりしていたし、それも仕方ないなあと思いつつ、複雑な気持ちでした。
でも、「時間よ、帰ろうか。」と言うと、後ろも見ないで、さっさと私と帰路について、「良かった。やっぱりけんたのお家はパパとママのところなんだわ。」と安心したり...そんな風に、だんだん親子として、家族として自信をつけていったのです。
けんたは、乳児院での記憶はほとんどありませんが、担当の保育士さんの名前は覚えていて、少し前までは、「ぼく、会いたいな。大きくなったところを見せたいな。」なんて話していました。だんだん口にすることも減りましたが…。
今朝、担当の保育士さん宛てに手紙を書きました。
「おげんきですか。8歳になりました。けんた」
保育士さんは「けんちゃんからお手紙いただいちゃった。漢字も書いてある…お兄ちゃんになったのね。」と感激してくれました。
けんたは保育士さんに生後1ヶ月からずっと大切に大切に育ててもらっていました。けんたはだんだん忘れてしまうかもしれないけど、ここまで成長できたのは、乳児院での保育士さん達の関わりがあったこと、伝えていきたいなと思っています。
2013年
8月
07日
水
養子縁組の申し立てをした日
とうとう待ちに待った養子縁組の申し立てをする日。家庭裁判所に行ってきました。
前日、けんたには
「明日は、けんちゃんと法律的にも親子になるための手続きをしてくるわね。そのために横浜の家庭裁判所というところに行くのよ。裁判所の人はすぐには”家族になっていいよ。”とはいってはくれないけどね。やっと、パパとママとけんちゃんは3人家族になるけど…いいよね?」
最後にけんたに気持ちを確認してみたところ、元気よく「いいよ!」と答えてくれました。
そのあと、「ぼくもいっしょに横浜にいく〜」とけんたは粘るのですが、残念ながらその前に児童相談所の職員さんと大切な面談を控えていたので連れては行けず...ごめんね、けんちゃん。
夫は、家裁を出たら、「申し立てしちゃったなあ〜。」てうれしそうに話していました。私もジワジワと喜びが沸き上がっています。
でも、特に生活は変わりません。相変わらず、けんたの日々の素直さ、子どもらしさに一喜一憂しています。
これから、縁組が成立するまでに、けんたを産んだ実親も呼び出されて意思を確認したりすると聞いています。出産後、一度もけんたに会いにこなかった実親ですが、ちゃんと家庭裁判所に行き、親権を放棄して、私たちが親子になることを認めてくださるといいなあと祈っています。
2013年
6月
27日
木
おじいちゃんとおばあちゃん
けんたくんは乳児院から2歳で里子として引き取られ、7歳の今、実子にするために特別養子縁組の準備を進めています。家族を取り巻く、親族についてのエピソードです。素敵なお話ですよね。
けんたが読む「たぬきのいとぐるま」を聞き終えて、うれしそうに拍手を送る義父母。思えば、義父母にもたくさんの心配をかけた。けんたを乳児院から引き取ることを初めて伝えたとき、義母は泣きながら反対した。
「どうして明らかに分かっている苦労をする必要があるのか」って。
私の兄は言った。
「甘い考えで子どもを引き取ってはいけない。子どもと相性が悪いとか、しんどいとか言って途中でやめるようなことになったら子どもがかわいそうだ。」
私の両親は訳があって、両方とも親戚や祖母に育てられたからか表立って反対はしなかった。ただ、それでも私たち夫婦が背負うことになる苦労を思って心配は尽きなかったようだ。
何度も何度も説明を重ね、最終的に「理解してくれた」とまでは言えなかったけれど、私たち夫婦の決意は変わらずけんたとの生活をスタートさせた。
あれから5年が経過し、けんたと養子縁組をすることを皆が喜んでくれていることに心から感謝している。
母は言った。
「そんな方法で子どもと家族になって幸せになれるなら、いいことよ。よかった。ほんとうによかった。」
血のつながりは超えることができる。今、私たちは、おじいちゃん、おばあちゃんを含む、大きな、あたたかい家族に見守られている。だから、これからも大丈夫。なんとかやっていける、なんとしてもやっていこうと思う。
2013年
6月
09日
日
言語聴覚士さんとけんたとわたし
無条件の愛情と、客観的に子どものことを見つめて必要な手を借りる冷静さと...両方とも大切ですね。
「せみ...って言えない、てみ...になっちゃう、どうしてだろう」
けんたが5歳の頃、こんなふうに打ち明けてきたことからはじまった言語聴覚士さんとの関係。小学生になっても、学習や学校生活などで楽しいこと、困っていることなど、けんたの気持ちをうまく聞きだしてくださり、頼もしい存在です。
ある日のこと。
「オレはクラスの中で’直され順番”2番なんだ!どうしていつも直されてばかりなんだ!1番はたくや君...算数が苦手、2番はオレ...漢字が苦手、3番は...」
息子が、そんなことを話しだしました。
オレだって、頑張っているのに....。そう、けんたは漢字をなぞったり、お手本通りに書こうと思うと、余計はみ出たり、だんだん身体がこわばってきてしまうのです。
そんなけんたもこの春には2年生に進級。言語聴覚士さんは言います。
「けんたくんは学習のこと、お友達とのこと、大人が思っている以上に困っていることがあるのかもしれませんね。新しく担任になる先生にもそれを解ってもらい、いつも明るい元気なけんたくんでいてほしいですね」
たとえ月に一度の短い時間の相談でも、けんたや私にとって大きな励ましとなり、私たちにいつも寄り添ってくれているという安心感でここまで子育てができました。
里親として、そして母親として、いつも応援してくれる、大切な大切な方の1人です。
2013年
5月
24日
金
けんたの赤ちゃん返り
(子どもがこんな風に素直に甘えてくれる時期って本当に短い。応えられる時は、応えてあげたいですね。甘える理由がきっとあると思うから。)
けんたが、最近赤ちゃん返りのようなことをする。
もともと抱っこは好きだけど、最近は赤ちゃんみたいに胸をさわって
「ママはあったかくて気持ちいいから好き」って言う。
1人で入るようになっていたお風呂も最近再び
「一緒に入って。抱っこして、身体と頭を洗ってほしい!」
私が仕事に行くときに、赤ちゃんみたいに大泣きするのはちょっと困るけど...私がけんたと過ごせなかった赤ちゃん期間を埋め合わせたいと思っているように、けんたも赤ちゃんの時にみんながお母さんにしてもらっていることを、いま取り戻そうとしているのかなあ~と思ったり。
特別養子縁組を決意して、パパの安定感がでてきた気がする我が家。いろんな意味でこれからがスタートです。
2013年
4月
26日
金
心のつながり
養子縁組の手続きを進め、法律上でも親子になろうとしているにも関わらず、けんたとの関係で不安になってしまうことがある。
疲れていると、けんたをわずらわしく感じてしまったり、ぐずるけんたに「本当は、他のママがいいと思っているんでしょ!」と思わず言いそうになる。
そんな時は、けんたも妙にお利口で…こんなことではいけないってわかっているのに。いつもいつもけんたのことばかり考えているのに。
どうしてこんなふうに気持ちのコントロールができないのかなと思う。
血のつながりがないから?とも思う。
自分でお腹を痛めて産んだら、こんな気持ちにはならないのかなって思う。
それでも、けんたはいつものように私のところにきて抱きついてきてくれる。
「けんたとの心のつながりを信じよう。」
こんなママなのに、安心しきった顔で抱きついてきてくれるけんたの顔を見ていたら、なんだか少し吹っ切れた気がした。
2013年
3月
28日
木
特別養子縁組を決意して変わったこと
(ぐるーんコメント:私たち、出産して初めて巡り会ったわが子を前に「相性」なんて考えたりしない。”私はこの子の親”そう自覚した瞬間から少しずつ”親になってきた”ように思います。)
養子縁組をすると決めて準備を始めてから、私の気持ちに変化があったように思う。もちろん、前から「血は繋がらなくても大切な私たち夫婦の子ども」と思ってはいたのだけれど、何かが心の中で変わった。
けんたを引き取って、しかるべきところに「養子縁組をしたい」と相談をしてきた。その度に、「慎重に」と言われてきた。養子縁組を前提に進めても、親子の相性があわずにうまくいかなくなるケースが多々あるのだという。だから、「慎重に」して、今までの約5年の歳月が流れたわけだけど、正直なところ、何をどう「慎重に」したらいいのかわからなかった。私たち夫婦は、けんたを子どもとして我が家に迎え入れたい。私たちの気持ちはそれだけなのです。
一方で、養子縁組ってどういう意味があるのだろう…とずっと思っていた。手続きは大変なんだけど、それだけで親子のあり方が変わるのかって思っていた。でも実際に決めたら…なんだか、安心した。けんたも同じように見える。
私は思う。
血のつながりのある親子だって、それぞれいろいろな事情を抱えながら愛情を持って育てている。私はけんたに障害があったって育てて行く。端から見て相性があわなくたって育てて行く。わが子なんだから。親の年齢や、親子の性格も、人それぞれちがう。違っていていい。それぞれの家族なんだから。
もう誰に遠慮する必要もないのだ。特別養子縁組を決めてよかった。「慎重に」なんていう言葉に迷うことなく、もっと早くに縁組みをすれば良かった。私たちの大切なけんた。これから堂々と共に育っていきたい、親子として。
2013年
3月
14日
木
「兄妹ができたら...」
最近、里子のけんたが「兄妹が欲しい」って盛んに言います。
「兄妹ができたら一緒にお風呂に入りたい。」「兄妹が出来たら一緒に寝たい。」「兄妹が出来たらケンカもするだろうけど、それでもいいんだ!」
けんたの話は「兄妹ができたら....」ばっかりなのです。
「おかあさんはもう子どもは産めないのよ。けんちゃんが本当に兄妹が欲しかったら、児童相談所の人に相談しないといけないの。」
と正直に伝えたら、なんとけんたはたまたま児童相談所の方と会った時に、
「ぼく、兄妹が欲しいんですっ!」
とお願いしはじめたのです。これには夫も私もびっくり。
夫は今のところ
「兄妹を連れて来ることはできないよ。」
と伝えていますが、実は私はかねてから「もうひとり子どもがいるのもいいな...」と何となく思ってきたことも事実。どうなるかは分かりませんが、最近は私の方が、
「いつかもうちょっとけんたが大きくなったら..」「兄弟を迎えることができたら...」「家族が増えたら楽しいだろうなあ...」
などと、想像してばかりいます。だって、やっぱり子どもがいる生活って楽しいから。慎重に考えないといけないとは思っていますけれど...。
2013年
2月
28日
木
パパの夢、実現!
小1の息子(里子)のまわりには恐いものがいっぱい。幽霊やお化け、「こびと図鑑」の類はほぼ実在のものとして認識しているようです。でも、恐いだけでは息子は終わりません。恐いものの正体を突き詰め研究しようと日夜努力しています。
学校や図書館で借りてくる本といえば、お化けやこびとの本ばかり。もちろんディズニーランドでは「ホーンテッドマンション」に必ず行きます。
でも、いざ入る直前にはやっぱり恐くなるのです。その時頼りにするのはママではなくてパパ。ヒーローごっこの時は敵役専門ですが、この時ばかりは英雄に変身!だっこしたり手を握ったりして息子を励まします。心強い味方に守られた息子はいよいよ敵地に足を踏み入れるのでした・・・。」
パパはといえば、普段はしがないサラリーマンですが、子どもといるときは自分が幼い頃夢見たクリント・イーストウッドやスティーブ・マックィーン演じる英雄や悪漢になれます。夢がかなったのです!
でも、この夢はたぶんあと1,2年で終わりで、その後は違う役が回ってくるのでしょう。でも今はこの夢をかみしめながら息子をかかえているのです。
2013年
2月
21日
木
けんたと離れた日
けんたと一緒に暮らし始めて一ヶ月が過ぎた頃だった。
夢にまでみていた子どもとの生活。楽しくうれしいはずなのに、けんたとの毎日は想像以上にしんどかった。生活すべてがけんたのペース....私は余裕がなかった。
2歳のけんたは食べ物の好き嫌いが異常に多く、私の料理をたびたび拒否した。自分が拒否されているみたいで悲しくなった。絶えず「だっこだっこ!」とせがまれ、抱っこしながら歩き続けた。
そんな日々に疲れ果て、乳児院の保育士さんに相談し、10日ほど預かっていただくことになった。ほっとする一方で、手離してしまったことをけんたに申し訳なく思った。私を嫌いになっちゃうんじゃないか...まただっこさせてくれるだろうか...心配が募った。
迎えに行ったとき、けんたは保育士さんに抱かれていた。私が「けんた!」と両手をだすと、一瞬さっと身体をひっこめた。再び両手をだすと、 「ママー!」と私の胸に飛び込んで、いつものようににっこりと笑った。愛おしく思った。
けんたにとっての母親は私なんだ、私を必要としているんだ、ずっと一緒にいたい。
改めて思った。
それからも疲れ果ててしまう時はある。
でも、けんたの私を見つめる顔のあどけなさとつないだ手の温もりがかわいくて、あれ以来、けんたとひとときも離れることはしていない。
2013年
1月
24日
木
ぼくは必要だから産まれたの?
里子のけんたは私のお腹の中から生まれたのではないことを知っているのに、
突然こんなことを聞いて来ることがある。
「ママは、どきどきした?ぼくが生まれるとき。」
「・・・そうね。」
「ママは女の子がよかった?男の子?どっちがよかった?」
「男の子がよかった。」
(しばし沈黙)
「ママは、ぼくが生まれてよかったと思う?」
「もちろん!ママはけんちゃんを産めなかったけど、代わりにけんちゃんのお母さんが産んでくれたんだって、ママはそう思っているのよ。」
「ママは、赤ちゃん産めなかったの?」
「頑張ったけどね…(^_^;)、それで、パパが一生懸命考えてけんちゃんがうちに来てくれるようにお願いしてくれたの。」
(しばし沈黙)
「けんちゃんは、生まれてきてよかったと思う?」
「・・うん!」
「どうして?」
「う~ん・・・・・・・わかんないけど。」
「けんちゃんが生まれてよかったと思うなら、ママもうれしいよ。」
この会話の数日後、またけんたは話の続きを切り出した。なんとトイレで用を足しながら!(けんたは未だに夜のトイレには1人で行けないのです...)
「ママは、前に僕が必要だって言ったよね…ぼくは必要だから生まれたの?」
「そうよ。ママがけんちゃんを必要…って思っていたから、あなたのお母さんが産んでくれたのかも。だから、あなたには産んでくれたお母さんと、育ててくれたお母さん…ママのことだけど…二人のおかあさんがいるのよ。」
「ふ~ん」
こんな風にいつも突然、けんたは自分のルーツを確認してくる。
私の返事を聞いて、本当にうれしそうに笑う。
私は本当のことを話してよかったと思う。
All of a sudden, Kenta bluntly questioned in our car heading off to his soccer school.
---Mom, were you thrilled when I was born?
----...Yes....
----Did you prefer girl to boy or vice versa...which gender did you like?
----I liked a boy
(some silence)
----Mom, were you happy that I was born?
----Of course! Actually it wasn't me who gave birth to you. Instead, your mother did birth
to you for us. That's what I figured out.
---Mom, you couldn't have a baby, could you?
---I tried my best, though...(^_^;). that's why your dad thought about a baby and he prayed that the baby should come to our home...
(some silence)
---Kenta, are you happy that you were born?
.....Yes!
----What makes you think so?
----Well, I can't tell why....
----Kenta, If you think you are happy about your birth, then I am happy too.
A couple of days later, Kenta started out the continuation of the conversation we had...
surprisingly... while he was doing poo poo in restroom. As a matter of fact, Kenta still can't go to the restroom alone.
----Mom, didn't you say that you needed me...that's why I was born?
----Yes, I thought it for a long time. That's may be the reason your mother gave birth to you for us.In other words, you have your biological mother and foster mother..you know.. that's me..so,you have two mothers...
----I wonder so...
In this way, Kenta always tries to confirm his own root with me. He truly smiles a lot when he hears my responses. I'm so glad that I spoke of the truth to him.
2013年
1月
12日
土
けんたと法律上の親子になる
乳児院から2歳で引き取って以来わが子として育ててきたつもりだが、ついに法的にもわが子としてけんたを迎える特別養子縁組の準備を進めています。
けんたにそのことをわかりやすく伝えようとこんな風に切り出しました。
「けんた、大事な話があるの。」
「なあに?」
「けんたはママのお腹から生まれていないってことは、知ってるよね?」
私の顔をじっと見つめるけんた。
「けんたを産んでくれたお母さんはね、けんたをどうしても育てられない理由があったみたい。けんたを産んですぐに、乳児院に預けたの。けんたは担当の保育士さんが育ててくれたのよ。」
「…」
「ママは、どうしても子どもがほしかったから、お願いしてけんたがここにきたの。」
「ぼくを産んだお母さんにあってみたい。どこにいるのかな…死んじゃったのかな。」
「死んだかどうかはわからないけど、あってみたいよね。ママも会ったことはないのよ。けんたを産んだお母さんは、これからもけんたを育てられないらしいの…それでね、ママとパパは、今までどおり、けんたのママとパパなんだけど…これからは、ママとパパはけんたの本当のママとパパになりたいの。これは、国できめてくれることなの。」
けんたは私とパパを指さしながらこう言った。
「この3人?それなら、いいよ。」
「これからは、ずーっとずっと一緒にいるんだよ、いい?ママとパパはとってもうれしいよ。」
「うん、いいよ。」
「これから産んだお母さんに会いたいなと思ったりするかもしれないけど、そのときは言ってね。聞きたいことがあったら、何でもおしえてね。」
そして、私はどうしても伝えたかったことを続けた。
「ママは、けんたを産んだお母さんは、えらいと思う。」
「どうして?」
「だって、産んだけどどうしても育てられないから、大事に育ててくれる人にお願いしますって、預けたんだもの。だから、ママとパパのところにけんたが来たわけでしょう。けんたの名前だって、けんたのおかあさんが考えてつけてくれたのよ。」
じっと私を見つめていたけんたの表情が…ちょっと明るくなった気がした。
「ママとパパは、けんたが子供になってくれて、本当にうれしいよ。ありがとうね、これからもよろしくね。」
最後の言葉は届いていただろうか、けんたは安心した表情ですでに眠りについていました。
We took our child from there when the child was 2 years old, and we tried to bring him up like his biological parents. Now we are in process of welcoming him under the special adoption system.
I started out this way to explain to Kenta (our foster-child now) in plain language...
"Kenta, I have an important talk with you"...
"What is it ?"
" You know you were not from my own belly, right?" Kenta stared at my face.
" Your mom who gave birth to you had some reason of not bringing you up then. Right after the birth,
you were taken into the facility and were brought up by a care-giver staff in charge.
............
"I badly needed a baby, thus I prayed and begged, and you came here"
"I like to see the mom who gave birth to me...Where is she ? Is she dead?...."
"I'm not sure if she's dead or not..I know you like to see her..In fact, I've never met her either.."
"We are told she's still not capable of taking care of you, so..of course....we'll continue to be your parents..and now we want us to be your real parents....that is being set forth by the nation....
Kenta pointed his finger to me and my husband, and said...
"If it happens among three of us, then it's fine"
"From this time onward, we'll be together for many years to come, you like it?
Of course, we, mom and dad, are very happy with this arrangement......
"Sure, it's fine?....."
"From this time on, If you ever want to see your biological mother,
don't hesitate to say to us, and if you have any question to ask,
tell us so..."
I continued what I really wanted to my message across to him ...
"I admire the mother who gave birth to you"
"Why?"
"Well, you know, she knew she couldn't bring you up, then she honestly asked sombody's help for bringing you up wholeheartedly"...That's why you are here close to us, your mom and dad....Look....your name was thought out by your biological mother"
I noticed Kenta's face has brightened up a little after fixing his eyes on me for a while.
"Mom and dad are truly glad you became our child. Million thanks to you...Let's share things in life together"....
I'm not sure whether or not my last spoken word was heard by Kenta...as when I noticed, he has already fallen asleep with peace of
mind......
2013年
1月
07日
月
子守唄の効力は?!
2歳のけんたが乳児院から我が家にきて間もないころは、お互いにどこか緊張していました。
寝かせるときのことです。
「どうやって寝かせたらいいのかしら…。」
とっさに私は座り、息子を胸のなかに抱いてみました。でも、なかなか寝つきません。ふと思いつき、背中をとんとんしながら子守唄を唄ってみました。
♪ゆりかごのうたを、カナリアがうたうよ、ねんねこ、ねんねこ、ねんねこよ♪
いつのまにか、息子はすやすやと眠りについていました。その後、毎日この子守唄は続きました。
ある日のお昼寝のときのこと。
いつものように子守唄を唄いましたが、息子はなかなか寝てくれません。じっーと私の顔を見て、ニタニタ笑っているのです。「どうしたのかしら。」と思っていたら...突然、一緒に子守唄を叫ぶように元気に唄い始めたのです。
その後も子守唄を唄うと、興奮して唄い出すようになったけんた。 子守唄の効き目がなくなり、毎晩寝かせるのに四苦八苦。今は、笑い話の一つになりましたが、あの頃は、無我夢中だったなあ...。
ただ、今でも忘れられません。胸に抱かれ、安心した息子の顔。なんともいえない幸せな瞬間でした。
2012年
12月
04日
火
けんたの苦手なこと
「けんたの絵は自由で楽しい。けんたの字は元気があって、ちゃんと書けば上手。」
私はそう思うけど、学校の先生から、お絵描きや字がどうもうまくかけない、発達障害かもしれないと指摘されてからというもの、私の中に得体の知れない不安があらわれた。
けんたは実母に望まれて産まれてきたわけじゃない。妊婦検診だって一度も受けていなくて、お腹の中の環境はけんたにとって心地よくはなかったはず。産まれた時だって....。
そんなことが関係しているのか、いないのか、それはわからない。でも、いても立ってもいられないような、そんな気持ちになるのだ。
けんたは、私や先生のそんな気持ちを敏感に感じて、ちょっと注意した言葉に爆発することがある。
「どうしてぼくはうまくできないんだ!!」
自分を責めるけんたをみるのはつらい。
「けんたはけんた」
全てを受け入れたい気持ちと
「将来困ることになったら...」
不安に思う気持ちと
迷い、揺れ動きながら、育て続けていくような気がする。
でもね、やっぱり私は思う。
「けんたの絵は自由で楽しい。けんたの字は元気があって、ちゃんと書けば上手。」
At least I think Kenta's drawing is free and joyous...his writing is vigorous...he does a good job when he puts some extra effort........Ever since his school teacher pointed out that he might have some growing impediment problem as he can't draw or write well, an unidentified anxiety grew within me. Come to think of it, Kenta was born, but his biological mother didn't want the birth, and she never got herself diagnosed while her pregnancy. The ambience during the pregnancy or the time he was born must not have been a cozy one. But, there's no way of knowing if all these affected upon him. This just makes me irritated. This is what I feel.. ...
Kenta senses out what I (We) feel toward him, and he sometimes explodes his emotion when I(We) urge his little attention.
Kenta says "How come I'm not doing well?" It's hard for me to accept that he reprimands himself....
"You are you, Kenta"...That's what I am supposed to say, or, on the contrary, "If I were put...in such a situation...of...in future" .....I say to myself I have to accept what's coming to me...or I may be in a fix in future.... Nevertheless, I think I will continue to bring him up in this mixed emotion...
Regardless.....now I think it loud and say it loud....Kenta's drawing is free and joyous, Kenta writes vividly if he puts some extra effort--------------------
2012年
11月
19日
月
黄色いバス
今朝朝食を終えておもちゃの棚の整理をしていると、バスのミニカーが出てきました。
息子が施設から持ってきて寝る時もいつも肌身離さず持ち歩いたものです。白いルーフにボディは黄のかっこいい車。ドアも開きます。でも最近は遊んでいないようでした。
妻と私は顔を見合わせました。「これまだいる?」と妻が聞くと、「もういらない。捨てる。」と息子はあっさりというのです。驚きました。このバスは、長い間彼が2歳まで育った乳児院の象徴だったのですから。
「アツ」または「アチュ」。僕たちの間では未だに本名ではなくこう呼ばれたがります。子どもに恵まれなかった僕たちがすがるように戸を叩いた児童相談所の紹介で出逢いました。はじめはうまくいきませんでした。最初の2週間で疲れ果て、元の施設に預かってもらったり、半年過ぎても感情の制御ができず、黄色いバスにあたったこともありました。
保育園に行っている間に児童相談所に2人で出かけて、福祉士さんと面談したのを今でも覚えています。福祉士さんはノートを閉じて話を聞いていましたが、ついにそのノートは開かれませんでした。言葉よりもその所作で僕たちの悩みが特別なものではなく、不変のものなのだと悟りました。
それから少しずつ心は開かれ、本当の親子だと思える瞬間が増えてきました。できることなら、アチュが2歳の時に戻って可愛がり直したいと、妻は時々口にします。
でも、複雑な感情と戸惑いに正面から向き合ってきたからこそここまで辿り着けたとも思うのです。周囲のたくさんの皆さんの手を借りながら。そんな親でアチュ、勘弁ね。
黄色いバスはまだ捨てていません。もうすぐアチュは帰ってきます。もう一度聞いてみようかなあ。でも....あとは自然に任せるとしましょう。
When I sorted out toys on shelf this morning after breakfast, a miniature bus came out. That was the toy our son brought in with him to our family from the infant-facility. He always carriied it around with him and stuck to it even during his sleep time. It's a cool yellow-body vehicle with white roof-top. Even the door opens up......Somehow he didn't seem to play with it lately.
When my wife asked our son.."Do you still need it?" ..the answer was kind of emotionless ..."I don't care any more...why don't you trash it"..With this surprise, I and my wife looked each other face to face because it was like his totempole or symbol of the infant-facility in which he was brought up and stayed for quite sometime until he became two years old.
He was called either "Atsu" or "Achu" at the facility. He still likes to be called this way among us at home rather than his real name. When we were not blessed with a child, we felt like catching a straw desparately and knocked on the door of a child-welfare consultation center. We met him there. Things didn't go well first between us. We were so tired for the first two weeks, and there was time that we had to ask for a temporary custody of him at the same facility he came from. After half a year, we still couldn't inhibit our emotion well. We even picked at the yellow toy bus.
We reminisce the time we went to the child-welfare consultation center to see a certified welfare care-giver while our son was attending his nursery school. She was listening to our side of story with her note book closed. Actually it was never opened up while we were sitting there.Through the way she expressed and behaved, we could somehow comprehend that our worries were not specific, but rather universal.
Since then, our heart started to open up gradually, and we noticed that numbers of time in which we were able to feel/share our true parent-to-child relationship with him have increased. My wife occasionally says that, if it were possible, she wishes she would like to go back to the time Achu was 2 years old and love him again by redoing the things she would have done better then.
To tell you the truth, we are confident that we could come all the way to this point since we tried earnestly to face the matter of complex emotions and perplexities....needless to say with the help of many people surrounding us...Achu, please give your powerless parents an extenuation!
Well, we have to tell you that we've been stuck with the yellow bus which wasn't trashed yet. Achu's soon coming home any time, We'll ask him
again if he needs it or not....After all, regardless of the outcome, we'll let God handle the rest.
2012年
10月
30日
火
抱っこ抱っこの日々のはじまり
乳児院でケンタと会い始めた頃は、不安が期待を上回っていた。
一緒に食事をしたり、遊んだり。何をしていても私にそっけなく、保育士さんを追いかけ回していたけんた。
乳児院のみんなで海に行った時もそう。私とけんたをできるだけ一緒にしようとしてくれている保育士の努力虚しく、けんたは保育士を探しては抱っこ、抱っことせがんでいたっけ。
不安と、居心地の悪さと、仕方ないという諦めと…いろんな気持ちを抑えながら、砂で汚れた手足を洗いにけんたと2人で水道を探しに行くことに...。
途中、疲れたけんたが、私にだっこを求めてきた。ドキドキした。
手足を洗い終えた後も、けんたは私から離れようとせず、二人だけの時間をしばらく過ごした。
他の子が来た時、こう言った。
「ダメ!けんたのママだから!」
その日以来、これまで我慢してきた抱っこを取り戻すかのように、抱っこ抱っこのけんたとの生活がスタートしたのだ。
小学生になり、以前よりずっと減ったとはいえ、抱っこはまだ続いている。あとどの位抱っこをせがまれるのだろう。まだしばらくは続いて欲しい気がする。
When I started seeing Kenta at the infant-facility, anxiety certainly exceeded my expectations.I tried my best to have meals with him or play around together, but Kenta was just nonchalant about me, and he was rather chasing a child-care staff there.
Same happened when we all once went to seashore. The child-care staff attepted making both of us together there as much as she could, but Kenta was rather looking for the staff to beg for a number of Daccos (hug/cuddle).
With fear, uneasiness or some sense of resignation combined, I tried to suppress my mixed emotions....I kind of remember it was time when we both tried to look for
some faucet to wash our dirty hands/feet with sand....On the way, Kenta seemed tired and asked for dacco. I found my heart beaten up quite strong.
Even after washing our hands/feet, he didn't want to detach himself from me, thus we had our own time together for quite some time. When some kid came to me, surprisingly enough Kenta said "Don't get close to her, it's my mom!" Ever since this incident, series of dacco (hug/cuddle) life days started as if he wanted to recover a number of past daccos he must have missed out from me.
Now he became an elementary school grader, but daccos still continue... though much less now. I wonder how many daccos he may beg from this time onward...nevertheless, I would rather like this continued until some time later.
2012年
10月
18日
木
けんたはけんた
けんたの母親になる自信が持てなくて落ち込んだことは本当に数えきれないほどあっ
た。
けんたが登校中にわがままを言って困らせたとき、けんたと私の関係を知っているマ
マ友から
「しっかりしつけしてあげてね。」
と言われたときは、自分が母親として未熟だと責められているようでつらかった。
実親の気になる素行についても耳に入り、
もしかしたら、けんたにも遺伝しているのではないかと
たとえ一瞬でも不安に思ってしまった自分自身をどうしようもなく責めたこともあっ
た。
でも、私はけんたのすべてがいとおしい。
わがまま言って困らせるけんたも
学校の先生に何度も指摘されている落ち着きのないけんたも
学童で覚えた乱暴な言葉をぶつけてくるけんたも
すべてが大切なけんただから。
ありがとう、産まれてきてくれて。
ありがとう、私たち夫婦の子どもでいてくれて。
There were innumerable times I felt discouraged by a lack of confidence to be Kenta’s mother.
When Kenta was acting selfish and annoyed people, my friend who knows the relationship between Kenta and me said “please train him properly”; I felt I was being
accused as an immature mother and I felt horrible.
I heard the rumors about Kenta’s real parents from somewhere; it made me anxious if Kenta found them. I have accused myself completely for feeling uneasy for even a
moment.
However, I feel he is a treasure - all of Kenta.
Kenta who acts selfish and annoys me,
Kenta who acts restless which was pointed out by his school teacher so many times,
Kenta who throws me the rude words which he learned from the After School Care Program,
Everything is important to me.
Thank you for being born.
Thank you for being our child.
2012年
7月
17日
火
けんたとのスタートの日
2歳の時に初めて出逢ったけんた。
乳児院の保育士さんにずいぶん懐いていて、この子とやっていけるのかなって不安に感じたあの日。
数ヶ月施設で会うことを繰り返し、里子として我が家に迎えいれた。
望みに望んでやっと手に入れた子どもとの生活。
しかし、実際に夫と2人の生活に突然子どもがひとり増えるのは戸惑うことのほうが多かった。けんたも同じだったようで、我が家に来た時のことを彼は5歳の時こう表現した。
「この変なおばちゃんと暮らすのか....って思ったよ。」
変なおばちゃん!?
…とにもかくにも、けんたの記憶にあの日のことはちゃんと刻まれているのだ。
私と夫とけんたの親子としてのスタートの日が。
2012年
5月
17日
木
子ども達がつないでくれたせつこさんと私の絆
ウルトラマンで始まったそういちろうと里子のけんたの絆。
二度目の再会は海が舞台となりました。
会うなり肩を組んでじゃれ合う2人は、さながら幼なじみのよう。
小蟹や小魚採り
砂浜でのかけっこ
小さい断崖を勇ましく這い登る「シロヒョウごっこ」
そんなこんなで、あっという間に夕方に。
「えー!もう帰るの~!?」
「次はいつ会う?明日っ?」
2012年
4月
24日
火
ウルトラマンがつなぐ僕たちの絆
春爛漫のおだやかな日に初めて会うそういちろうくんと、里子のけんたくん。
最初の会話は、ウルトラマンショーの開園を待つ間にはじまりました。
「(そういちろう、以下そ)カネゴンってね、お金をバリバリバリーって食べちゃうんだよ!」
「(けんた、以下け)え、そうなの?じゃあ、バルタン星人は?」
真剣に舞台を見つめ、ウルトラマンを応援するうちに、一気に気持ちが打ち解けたふたり。